日本を考える.1

イスラエルにいる。そして思う。

 

「日本をもっと考えよう」と。

 

今目の前に、18歳前後であろう若者がバスの中で銃を片手にどこかに向かっている。銃口はこっちに向いたりあっちに向いたり様々だ。この国では戦争は当たり前だ。政府が戦争をすると言えば国民は「そっか、仕方ないね。じゃあ今できる事を精一杯頑張ろう。」となる。この国の人たちは戦争が当たり前として育つ。当然徴兵制もある。男は3年、女は1年だ。駅やバスターミナルに行けば、若者の兵士がゴロゴロといる。まるで学校帰りのように軍服を着ながらみんなでファストフードを食べ、女子は銃を片手にガールズトークをしている。生き生きと話している彼らの目は鋭いし、真剣だ。きっとこの国に生まれてきた責任感と、もう子供ではないという事を経験的に理解しているのだろう。

 

日本はどうだろうか。政府が戦争をするといったら国民はなんと言うだろうか?

 

「戦争反対!」

「戦争なんてダメに決まってる!」

 

そして「戦争という話題すら出す事がよくない」という認識になっていないだろうか。

 

「まぁなんだかんだで戦争は起きないし、結局誰かがなんとかすんだろ」

 

自分はそうだった。

戦争は過去の事で、これからは起こらない。いや、少なくとも自分が生きているうちに戦争が起きる事はないだろうと思っていた。しかし、この国に来て今思う。

 

戦争はある。

 

経験的に理解していないだけだ。戦争になれば、相手が子供であろうが障害者であろうが、容赦ない。それが戦争の事実であり、戦争になればそうなっても文句は言えない。昔から人間は常に領土の奪い合いを繰り返し続けている事は歴史が教えてくれている。人生の中で戦争が無い方が不思議だ。

 

歴史は繰り返す。

 

今まで戦争について考えていなかった事を恥じるべき事でもないと思っている。日本に居続けてそう勘違いしてしまうのは当然な事だからだ。日本の報道では「真実」を流さず、大人も子供に「真実」を見せないようにして教育する。だから今日本で言われている「平和ボケ」してしまうのは当然といえば当然だろう。政治や政府に興味がなくなってしまった日本人は決して悪くない。

 

しかし気づいた今、自分にできる事はなんだろうと考えた。

 

それが「日本を考える事」だ。

 

日本の経済はどうなのか。政治はどうなのか。他国から攻め込まれたら国を守れるだろうか。戦争になったら国民として取るべき行動を自分は取れるだろうか。そして戦争にならないようにするにはどうすればいいのか。

 

「国の為に」なんてかっこいい事はまだ言えない。

だが、「自分の為に」となら言える。

だから、自分の為に日本を考える。