行動を考える.2

先程、フリーダイビングの4日間コースを申し込んできた。

今回なぜフリーダイビングをやるのかをきっちりとまとめる。

 

・偉大な絵を描くため

 

絵を描くにはその人の心境が現れる。間違いない。

ブログや、本、小説、などの文章と全く同じだ。

だから描く人自身になにかが起こらない限り、その人から偉大な物が創造される事は難しいだろう。

 

そしてそれはまさに今の自分に必要な事だ。

「死線をくぐる事」はその人を変えるのは間違いないと思っている。

限界寸前に、自分をコントロールできるかどうかに全てがかかっているのだ。

ボクシングでも、絵でも、文章でも、経営でも、戦争でも。

とにかく「これをやらなければ死ぬ」という程のプレッシャーがきた時に、自分をコントロールできるのだろうか。

 

自分はそこを超えてきていない。

だからやらなければならない。

正直、自分がまさかエクストリームスポーツをやる事になるとは思っても見なかった。

完全見る側だったし、これで命を落とす人達はかわいそうだとすら思ったこともある。

しかし、フリーダイビングを見た時に「これなら俺にもできるかも」と思った。

たぶんまだ甘く考えている。本当の海の怖さを俺はまだ知らない。

しかし、海の底に深水したら最後それは「逃げられない状況」になる。

本質を言えば、先ほどの「これをやらなければ死ぬ」という状況と同じだろう。

このスポーツは「自分をコントロールできなければ死ぬ」のだ。

 

わかってはいるが、ずっと自分にコントロールされてきている。

今もそうだ。

だからここを超えなければならない。

今の自分に支配されないように自分が自分自身をコントロールしなければならない。

 

俺は海が好きだ。今まで何度も海に導かれてきた。

そして今その大好きな海が目の前にあって、今自分に必要な物が全て揃っている。

このチャンスは逃さない。

今初めて死への恐怖心を忘れる程の好奇心が芽生えている。

なんだろうこの感覚は。

これは今まで俺が何回か出会ってきた現象と非常に似ている。直感といえばそれで終わってしまうが、自分の体が引き寄せられている感覚すらある。

 

確認する。

 

「偉大な絵を描くためには今の自分を超えなければならない。」

「今の自分を超えるとは、限界点でも自分をコントロールできるようになる事。」

「限界点でも自分をコントロールできるようになるには、逃げられない環境に行かなければならない。」

「逃げられない環境にいくには、自分の興味が勝る環境に行かなければならない。」

「自分の興味が勝るほどの環境が、フリーダイビングだ。」

「だからフリーダイビングを学ぶ。」

 

自分に約束する。

今目の前の事がいろいろある。

ブログを書いたり、絵を書いたり、誰かを想ったり、今後の人生を考えたり。

 

だけど、この4日間はフリーダイビングに集中する。

 

大丈夫。

俺ならできる。

これだけ考えて、自分を信じて、行動に起こしたのだから。

明日が楽しみだ。

 

 

 

行動を考える.1

いくら考えていても行動に起こさなければ意味がないと思っている。当たり前だが、行動ありきの考えなのだ。

何か目の前の現象が起こったとしてまず考える。そしてそのつぎに「行動」を起こさなければその現象に対処する事はできない。だから実「行動が最も大切な事」であって、行動ありきの考えるという事なのだ。考えた末に何もしていない事は実は「なにもしていない」のと同じなのだと思う。


日本は島国だ。

だから海外に行くのには実は少しハードルがある。

海外に行きたいな、と考える人たちはたくさんいる。が、行かない。

イメージをしている(考えている)が、結局行動に起こしていないから行けていないのだ。

 

「考える」と「行動」は具体的にどういう関係にあるのだろうか。

これらを明確にしなければならない。

自分が考える行動とは「自分の体を動かす事」だと考えている。

動いていなければ行動していない。

「行」に「動」と書いて行動。

具体的に動作は、「書く、話す、聞く、行く、作る、考える」などだろう。

 

しかし、考えるは特別だ。

「考える」という動作は行動のうちに入っているが、アウトプットするまでの事を指す。

「考えた物をアウトプット(書く、話す、作る)」するまでが「考える行動」なのだと思う。

考えてもアウトプットまでいってなければそれは行動とは言わない。

 

経験上「考えて行動する人」は優秀な人達が多い。

意味のある事しかやらないから、意味のない行動はせず、無駄がないのだ。

考えて行動をしなければ、遠回りや無駄が発生する。

文章も全く同じで、「無駄のある文章」と「無駄のない文章」でその著者の人柄が出るのは間違いない。

だからブログには人柄が出る。


このブログだって、「とりあえず匿名でもなんでもいいから文章を書いてみよう」

という事から始まった。見切り発車に近い。が、実はブログの事は過去に何度も挑戦しているし、ブログの重要性にはずっと気づいていた。そうして試行錯誤しているうちに、どうすれば続くようになるのだろうという事に対して考え始めて、今書いている。よくよく考えると、「ゆっくりと時間をかけてブログの事を考えていた」のだと思う。だから100%見切り発車というわけではない。そしてその納得のいく答えが自分の中で出た時、こうしてブログを今書いているのだ。

 

まず何かに対して「自分の脳で考える」という行動を起こす。

↓(ここのハードルが高すぎると、やる気がなくなり結局行動に移さない。)

「考えた結果」を行動に移す。

「行動をした結果を踏まえて考える」という行動を起こす。

「改善した結果」を行動に移す。

繰り返し

 

これはトライアンドエラーと全く同じだ。

そしてこれを繰り返していくうちに、長期的に計画が立てられるようになるのだと思う。

 

「自分が納得するまで考えると行動に移す事ができるようになる」。

だが大切なのは、「この納得のいく答えのハードル」を自分に合わせて考える事が大切だ。

深掘りして考えすぎて、実際に行動ができなくなってしまっては元も子もない。

だから大切なポイントは、

「自分の納得のいく答えまで考え続ける」という事も大切だ。

考えて答えが出なければ、実際にやってみてもいい。

「答えを探すために行動に移す」事も考え続けている事と同じだ。

それに「答えを知るためにやる」という理由がある。

 

こういう風に「考える事」も行動の1つだと考えればやはり「行動が先」に来る。

それよりも先にくるもの。

それが「考える行動以外のナニカ」だ。

「考えるという行動」が先か、それとも「考える行動以外のナニカ」が先か。

今の自分はここをしっかりと考える必要がある。

この行動についてはしっかりと腹の底に落ちるまで考える。

 

 

忘れない事を考える.1


最近つくづく思うことは「人はすぐに忘れる生き物だ」という事だ。

今まで何度も何度も決心した事があった。

次はこれをやろう。

これを継続しよう!等と。

しかし、気がつくとやらなくなる。


なぜか?

「その時の決心を忘れている」からだ。

その時思った事は本心であるかもしれない。

しかし、「その時の気持ち」を忘れてしまっては元も子もないのだ。

いくら「今日から俺は変わる!」とその日一日声を上げたとしても、無駄なのだ。

人間は必ず忘れる。


例えば幼少期に辛い体験をしたとする。

その幼少期の辛さや、体験を「忘れていない」からブレない。

根っこの部分が最も大切だ。


だから「忘れないようにする事」が最も大事なのだと思う。

では忘れないようにするにはどうすればいいのか?

それは「書く」という事だ。

メモ帳やI pad , iphone

とにかくまず大前提として「書く」という作業が大事である。


次に、大切なこと。

それは「見返す」という事だ。


なぜ書くのかというと「見返す為に」書いているのだ。

ブログもそうだ。

ブログの1番の閲覧者は誰でもない、自分自身なのだから。

ブログを何度も見返す。

メモ帳も同じ。

メモ帳を何度も見返すから、脳裏に焼き付けられて行く。

Iphoneでメモを書いても、すぐに忘れる。

Iphoneのメモに書いたところで、「データの奥」に入っていて「見返さない」からだ。

自分は何度もそういう体験を繰り返してきた。

 

▼では「見返す」ようにするにはどうすればいいのか?

まず毎日の自分の行動をしっかりと把握する事だ。

朝起きて何をするのか。

散歩に行くのか、スマホを見るのか。

今でいったらほとんどの人があさおきてスマートフォンをチェックするだろう。

そうした後にスマートフォンに自動でリマインダーを設定するなどをすればそれなりに見返す作業は可能だ。


とにかく書いた「そこに行く」作業が必要なのだ。

移動しながら生きている自分にそんな事はできるのだろうか。

ただ、これを工夫して考えていかなければ、「毎日忘れる日々」が続くだろう。


書いて  →  見直す


自分はこの作業が最も大切だという事を「まずはきちんとここで書いておく。」

あとはいかにこの文章を読み直せるようになるかだ。

星を考える.2

この事に関しては書こうかかなり迷った。

やはり忘れないように書いておく事にした。

 

昨夜砂浜で星を見上げていた。

目の前には海があって、向こう側にはサウジアラビアが見える。

星を見ながら、エジプトの料理フォラッフォルをほおばっていた。

すると目の前から黒い猫がやってきた。

よく考えると周りには、何もない。

こんなところに猫がいるのだなと思いながら、フォラッフォルを与えた。

しかし、食べなかった。どうやら好きではないらしい。

そしてしばらくこの黒い猫と一緒に座っていた。

また星を見上げる。

いつにもなく綺麗な星だ。

あの動いてるのは飛行機か。

 

ちょっと待て。

あの「光」は真っ直ぐに動いていない。

左右に「ゆっくりと蛇行しながら下降」している。

光り方は一番星とかなり近い。

というか星と同じ光り方だ。

色は赤、オレンジの中間色あたりだろうか。

とにかくゆっくりと「蛇行」している。

なんだなんだと思いながら、星を追う。

するとこんどはゆっくりと「左」に蛇行し始めた。

明らかに流れ星ではない。流れ星はあんなにゆっくり動かない。

真っ直ぐ飛んでいないのだから飛行機でもない?

ドローン?いやドローンがあんなに高く飛ぶだろうか?

人口衛星?人口衛星は上に打ち上がるものであって下にいったり左にいったりゆらゆら蛇行するのだろうか?

 

「えぇ!?」

思わず1人砂浜で声をあげてしまった。

3分~5分程であろうか?

その後、その「得体の知れない星」はゆっくりと左にそれながら消えていった。

その後もうっすらと何回か見えたが、次第に見えなくなった。


その時に考えた。

自分が気づいていないだけであって、この星にはまだまだ解明されていないものがたくさんあるのだろうと。

それに気づくにはどうすればいいのか。

それは「自然に立ち向かって行く事」なのではないだろうか。

そうすれば、自然が教えてくれるのではないか。

 

以前こういった類の文章を本で読んだ事がある。

「自然が教えてくれる」

「自然に学べ」

なぜ自然から学ばなければならないのか?

自然を考える事は「この星を考える」事に繋がっていて、更にはこの「宇宙を考える」という事に繋がっているのだと思う。

 

なぜ人は朝日を見に行って、夕日を見に行くのか?

ただ「綺麗だから」と言えば簡単だろう。

しかし、それで終わらせたくない。

なぜ綺麗なのか?

もっとこの星を理解して、夕日を見に行きたい。

まだまだこの星はわからない事だらけだ。

 

とにもかくにも、「あれ」は一体何なのだったのだろうか。

これから何かが起こりそうな気がしてならない。

 

 

 

 

 

 

 

 

貧困を考える.1

現在エジプトにいる。

昨日タクシーの運転手から彼のおじの家に来ないかと言われたので、お邪魔させていただいた。シナイ半島の田舎中の田舎道を走り、砂漠の中にその家はあった。

目の前には大通りが一本しかなくて、家は6個程、ラクダが7匹ほどいた。

彼の叔父に会い、名を「シャイ」と言った。

相変わらずアラビア人の名前は覚えずらい。


大人が更に2人来て、その後子供が十人ほど自分を見に来た。全員裸足だ。ここはエジプトの中でも田舎中の田舎だから、自分みたいなアジア人が珍しいのだろう。彼らは自分をとても不思議そうな目で見て、声をかけると照れ臭そうにちょっと隠れる。とても可愛いらしい。

 

チャイをいただいた。

このチャイは格別に甘い。砂糖をどっぷり入れているのだろう。

英語は当然しゃべれない。途中から来たもう1人の大人はかろうじて簡単な英語はしゃべれたから軽く通訳みたいな事をしてもらいながらしゃべったが、ほぼほぼ内容はわからなかった。


向こう側にラクダがいる。ラクダは繋がれているのもいれば、繋がれていないラクダもいた。ちょっと見せてくれないかと頼み、ラクダに近寄る。子供達はついてくる。そして驚いた。なんと「黒いラクダ」がいるのだ。一回り小さく、見るからに子供であろう黒いラクダだ。ラクダって子供の頃は黒いのか?ラクダの種類だからなのか?よくわからなかったが、とにかく黒いラクダも非常に美しくて、母親ラクダと一緒に過ごしていた。


すぐに思う。ここにいるラクダ達は、気持ち良さそうだ。

観光名所で観光客に股がられているラクダ達と全く違う。苦しそうではなく、穏やかに過ごしている。観光名所で引かれているラクダ達はいつも苦しそうな表情をしている。時々雄叫びをあげるが、悲鳴をあげているように聞こえてあまり気持ちのいいものではない。それでもラクダの声を始めて聞いた時は驚いた。


子供たちは自分が移動する旅についてくる。

シャイ達も僕がラクダに触ろうとすると喜んで触ってくれと進めてくれる。

そして写真を撮っていいかと聞くと、喜んでカッコいいポーズを決めてくれる。自分が喜びそうな事には全力でもてなしてくれる気持ちが本当に嬉しかった。ありがたかった。


ここにいる人達はたぶん読み書きもロクにできないのであろう。

子供達も学校に行っているのか、行っていないのかすらもわからない。

当然ここには高価な物は何もない。

だがここの人達のハートは美しい。

子供達は裸足で全力で遊んでいる。

そして元気に駆け回る。本当に元気だ。そして瞳が美しい。

何でも興味を示す純粋な心がここにはあるのだ。

夜の星空は間違いなく綺麗だろう。


およそ30分程だった。だが、帰りのタクシーの中では今の出来事がアタマから離れなかった。


どれだけ貧困なのか。

それでも満足している彼らの心境はどうなのだろうか。

自分がこの場所に生まれたとしたら、どうなっていたのだろうか?

ここから立ち上がるには何が必要なのだろうか。

そしてそれは可能なのだろうか?

貧困とは何なのだろうか?

疑問がたくさん残った。

ただ一つ確かな事は、今後も貧困について考え続けていかなければならないという事だ。

 

 

 

 

 

 

一日を考える.2

一日を再び考える。

どうしたら効率よく一日を過ごす事ができるようになるのだろうか。

 

以前は「起きたらなんでもいいからすぐ外に出る」という事を記述した。

この効果は絶大で、これを行ってから一度も「二度寝」をしていない。

それほどに意識が変わるのと、脳が起きているのだろう。

更に「このすぐ起きて外に出る習慣」を継続しているうちに、ある事に気づいた。

 

それは、「朝日を浴びる事」だ。

 

当たり前といえば当たり前かもしれないが、これは自分にとっては大きな発見だった。

朝日が人間に与える効果というのは思っていた以上に大きい。

朝日を見る事で目は冴えるし、なぜこんなに朝日が綺麗なのかという事も考え始める。

この「考え始めている事」は脳が起きている証拠だと思う。

朝早く起きて、走りでも歩きでもなんでもいい。

とにかく朝日を浴びに行く。

朝日が出ていない場合は、ランニングをすればいい。

この行動こそが、その日一日を決定づける行動だと言っても過言ではない。

スポーツと全く同じでスタートダッシュが最も大切だ。

だからこの自分の「体を起こす」という作業は、一日を効率化させる為に最も大切な事なのだ。

 

そして次に家に戻って来た時にすべき事はなにか。

それは「一日の目標を立てる」という事だ。

できれば細かいスケジュールなどの方がいいが、それを行ったとして全てを継続的に達成し続ける事は難しいし続かないのは目に見えている。

だから「なんでもいいからその日の目標を立てる」だ。

 

朝食をとってはいけない。

必ず忘れる。

パソコンも触ってはいけない。

必ず忘れる。

スマホも触ってはいけない。

必ず忘れる。

 

だから、家に戻る前だ。

そしてその目標を忘れないように必ず「書く。」

これを書いていなければその一日は良いスタートダッシュをきれなかった日だ。

 

一日終わった時にその目標を振り返る。

達成できたのか、達成できなかったのか。

達成するためにはどうすればよかったのだろうか。

きちんと考える。考えて、振り返る。

それが大切なのだ。

 

だから今現在自分の考える一日の効率的に考える手段としては、

 

起床。

すぐ外に出る。

朝日を浴びに向かう。

目標を立てる。

帰宅。

書く。

 

という順序だ。

これが必ず自分の一日の効率化に繋がる。

 

 

もう一度言う。

人間は忘れる。

だから今もう一度確認をする。

 

考えるために今自分はここにいる。

効率的に一日を過ごす為にはどうすればいいのかを考えるために今ここにいる。

生き残る為に今ここにいる。

だから朝日を浴び終わった今このブログを書いている。

 

そこを忘れてはいけない。

 

 

 

 

 

 

 

本を読んで考える.1

 

もう何度もこのブログに書いているが、このブログの目的は自分の「考える力」を鍛える為に書いている。

 

そしてその為に、できるだけ本を読まないようにしている。

なぜか?

それは「本を読む事は答えを見る行為と同じ」だからだ。

この世の中にはたくさんの頭の良い人達がいて、その人達が書いた本を読めば効率的に学習する事ができるだろう。実際自分も今までそうやって、しばらくの間本をたくさん読んでいただ時期もあった。しかし、そんな情報今覚えているのがいくつあるだろうか?

実際「考える力や思考力の鍛え方!」みたいな本もこの世の中にはたくさんある。

しかし、上記の理由からできる限り本は読まないでこのブログを書いていた。

 

そして今回あえて1冊の本だけ読む事にした。

これは「考える事が楽しくなってきた」という理由を止めたくなかったからだ。

ここで止まってしまっては元も子もない。

だからもう少しだけ楽しく、そして自分の「知識欲を利用して」一冊の本だけ読む事にした。

それがちきりんさん著の「自分のアタマで考えよう」という本だ。

この本は「自分の頭で考える事の重要さと方法」について細かく書かれており、ブロガーであるちきりんさんも自分と同様な悩みを抱えていたようで、親近感がわいた。

この本でちきりんさんは「自分で考える力をつける為には、本を読む事は非効率だよ」という事を書いている上に、出版しているから面白い。

そして、この考え方は、自分が考える力をつけようと思ってネットに頼らず本を読まずに一つ一つ自分で考えていこうと考えた事と同じだったから嬉しい。

 

しかし、この本を読んだ事によって自分は「考える力の鍛え方の答え」を見てしまった事になるのだ。

改めて「答えを見るという行為」を認識した。以前はこれすらも全く気づかなかったが、今回は「答えを見た」という行為が自分自身で認識できた事も、一つの成長と言っていいだろう。

 

内容は当然ながら、「ちきりんさんが考え抜いた答え」がたくさん乗っており、大事な内容が詰まっていた。

そこで基礎中の基礎だけまとめる。

それは考える時は「知識と思考は区別する事から始める」という事だ。

 

知識はもともと自分が持っているもの。

思考はその自分の知識に影響されずに、物事をありのままに見て考える力だ。

例えば今この「知識と思考は全くの別物で、この2つを区別するだ。」という事も1つの知識となったわけだ。

しかしここで大切なのは、これに対して疑問に思わなければならない。

なぜ知識と思考は別物なのか?

これが説明できなければ、この答えも自分の血肉化されていないと言っていいだろう。

 

だから先人の考え抜いた答えを得る時は「必ずその内容を説明する事ができる」までしないと意味がない。

結果的に、自分がこの本を読んだ事は、「ただ単に本を読んだだけでは全く意味がない」という事を考えさせてくれた。