馬鹿にする人間と、しない人間。

 

人間には、2種類いると思っている。

「人を馬鹿にする決断をしない人間」と「人を馬鹿にしない決断をした人間」だ。

 

少なからず人間は、人をジャッジしたり、差別したり、知らないことを知っていて優越感を得たり、馬鹿にしたり、いろんな感情があると思う。

その中でも、人を馬鹿にするという行為は不快な感情であり、多くの人が頭を悩ませている事だと思う。

これをゼロにするのは、僧侶の修業をしない限り難しいのではないかと考えている。

 

しかし、人間は自分の生き方とか、心得を決める事ができる。

そこで、人を馬鹿にしない、見下さない、尊敬の目で観る、という心得を自分で「選択」する事ができる。

 

前もって言っておきたいのは、人を馬鹿にする人間が悪いわけではない。

人の生き方はそれぞれであって、その人はその心得なのだ。

ただ、デメリットが多く、メリットがないというだけだ。

 

しかし、馬鹿にしないという「選択」をした人間は大きなメリットを得る。

具体的には、人間関係の付き合いが変わるという事だ。

馬鹿にする人間との付き合いが少なくなり、馬鹿にしない人間との付き合いが増える。

馬鹿にする事がないため、人から馬鹿にされることもなくなる。

馬鹿にされることがないから、嫌な感情に苛まれることもなくなる。

 

全く馬鹿にしないというのは、簡単にできるわけではないだろう。

だが「馬鹿にしてしまったな、次は気を付けよう。」という反省がある為、また馬鹿にしない人間になろうという努力をする。

それを繰り返す度、自分の心得が強化されていき、いつしか自分も人を馬鹿にしなくなっていく。

 

人を馬鹿にして、デメリットはあるがメリットはない。

だから、その行為をしなければ、その時点で優位に立つ事ができる。

100%できなくても良い。

ただ、人を馬鹿にしないと決断する。

そう決断したら、人間としてより成長できるのではないだろうか。