拘りを持ち続ける事。

拘りを持つという事は、個性を持つと同じことだと考える。

 

誰にでも拘りという物がある。

しかし、拘りは人によって違う。

特に幼少期には顕著に現れる。

 

拘りは仏教において執着と同じ意味ともされているが、拘りと執着の関係は難しい。

そもそもなぜ人は何かに拘るのか?

それは、自分が気分の良い気持ちになりたいからだ。

ではなぜ気分の良い状態になりたいのか?

それは気分の良い状態になることが、自分が自信がみなぎる方法だからだ。

自信があれば、最高のパフォーマンスにつながる。

 

拘りを妥協する事は、我慢する事と同じだ。

拘りたいのに、拘れないから、最高の気分の状態になれない。

結果として自信が出ず、最高のパフォーマンスを出せない。

自信があれば積極的に行動に移し、拘りを続けながら、長所を伸ばす事もできるようになるだろう。

 

だから自分の拘りは自分の個性と同じだ。

拘りを消そうとしてくる人間には近づいてはならないし、拘りを褒めてくれる人間とは一緒にいる時間を増やすべきだ。