カネについて考える。
カネは天下の回りものといった言葉が昔からあるが、つい先日その言葉がしっくりときた。
カネを貯めるだけでは入ってこない。本来カネは、何かを受け取ったり、サービスを受けたりする為のツールであるに過ぎず、抱え込むものではない。カネはチケットだ。
チケットも使わなければただの紙切れに過ぎず、期限が過ぎれば効力は発揮する事はできない。
カネに期限がついているわけではないが、カネがいつか紙くずと化す日が来ないという事でもない。
現在アルゼンチンのブエノスアイレスにいる。
アルゼンチンは過去に経済が何度も破綻しており、アルゼンチンペソは暴落を繰り返している。
2019年2月現在アルゼンチンペソは2.8円程の価値しかない。
アルゼンチンペソのチャートを遡ってみると、過去には27円などの数字がでてくる。ほんの10年程前の話だ。
それが今ではアルゼンチンペソは約10分の1の価値。
この「価値が下がったもの」を人々は欲しがるのだろうか?
単純に価値がないものを抱え込んでも仕方ないだろう。ペソはアルゼンチン国内で使用する事はできるが、ほかの国で使用すると非常に困難になる。例えばお隣のウルグアイに持って行って両替をしようとすると、倍以上のレートになっているのだ。隣の国でさえも、ペソは欲しがっていないのだ。当たり前だが、ウルグアイでペソを使用することは基本的にできないし、持っていたところで使い道は少ないだろう。
アルゼンチン内で生きていくのであれば問題ないが、少しでも海外に関連があるとすると非常に不利になる。
だからアルゼンチンの人々は非常に大変だ。他の国に自分の国のお金を持って行っても、どこの国も自分の国のカネを欲しがらないからだ。
だからアルゼンチンの人々はペソでなくドルで貯金をする。
店舗ではドルで支払いをしようとすると喜んで応じてくれる。
なぜならドルには価値があるから。同じチケットなのにもかかわらずこんなにも差が出てしまうのは、何度も経済破綻を繰り返している為、世界からみたアルゼンチンの国としての信頼がないからだろう。
同じ事が日本で起こったらどうなるのだろうか?
2019年現在、今日本に100万円の貯金があるとすれば、約1万ドルの価値を持っている。
しかし翌年に、5000ドル分の価値にしかならない、さらに1000ドル分とでしか交換ができないとなったらどうなるだろうか。
海外旅行に行ったとしても、誰も円を欲しがらない。
なぜなら価値がないから。
そういった状況がいつきてもおかしくない状況に今自分たちは生きているのだ。