星を考える.2
この事に関しては書こうかかなり迷った。
やはり忘れないように書いておく事にした。
昨夜砂浜で星を見上げていた。
目の前には海があって、向こう側にはサウジアラビアが見える。
星を見ながら、エジプトの料理フォラッフォルをほおばっていた。
すると目の前から黒い猫がやってきた。
よく考えると周りには、何もない。
こんなところに猫がいるのだなと思いながら、フォラッフォルを与えた。
しかし、食べなかった。どうやら好きではないらしい。
そしてしばらくこの黒い猫と一緒に座っていた。
また星を見上げる。
いつにもなく綺麗な星だ。
あの動いてるのは飛行機か。
ん
ちょっと待て。
あの「光」は真っ直ぐに動いていない。
左右に「ゆっくりと蛇行しながら下降」している。
光り方は一番星とかなり近い。
というか星と同じ光り方だ。
色は赤、オレンジの中間色あたりだろうか。
とにかくゆっくりと「蛇行」している。
なんだなんだと思いながら、星を追う。
するとこんどはゆっくりと「左」に蛇行し始めた。
明らかに流れ星ではない。流れ星はあんなにゆっくり動かない。
真っ直ぐ飛んでいないのだから飛行機でもない?
ドローン?いやドローンがあんなに高く飛ぶだろうか?
人口衛星?人口衛星は上に打ち上がるものであって下にいったり左にいったりゆらゆら蛇行するのだろうか?
「えぇ!?」
思わず1人砂浜で声をあげてしまった。
3分~5分程であろうか?
その後、その「得体の知れない星」はゆっくりと左にそれながら消えていった。
その後もうっすらと何回か見えたが、次第に見えなくなった。
その時に考えた。
自分が気づいていないだけであって、この星にはまだまだ解明されていないものがたくさんあるのだろうと。
それに気づくにはどうすればいいのか。
それは「自然に立ち向かって行く事」なのではないだろうか。
そうすれば、自然が教えてくれるのではないか。
以前こういった類の文章を本で読んだ事がある。
「自然が教えてくれる」
「自然に学べ」
なぜ自然から学ばなければならないのか?
自然を考える事は「この星を考える」事に繋がっていて、更にはこの「宇宙を考える」という事に繋がっているのだと思う。
なぜ人は朝日を見に行って、夕日を見に行くのか?
ただ「綺麗だから」と言えば簡単だろう。
しかし、それで終わらせたくない。
なぜ綺麗なのか?
もっとこの星を理解して、夕日を見に行きたい。
まだまだこの星はわからない事だらけだ。
とにもかくにも、「あれ」は一体何なのだったのだろうか。
これから何かが起こりそうな気がしてならない。
貧困を考える.1
現在エジプトにいる。
昨日タクシーの運転手から彼のおじの家に来ないかと言われたので、お邪魔させていただいた。シナイ半島の田舎中の田舎道を走り、砂漠の中にその家はあった。
目の前には大通りが一本しかなくて、家は6個程、ラクダが7匹ほどいた。
彼の叔父に会い、名を「シャイ」と言った。
相変わらずアラビア人の名前は覚えずらい。
大人が更に2人来て、その後子供が十人ほど自分を見に来た。全員裸足だ。ここはエジプトの中でも田舎中の田舎だから、自分みたいなアジア人が珍しいのだろう。彼らは自分をとても不思議そうな目で見て、声をかけると照れ臭そうにちょっと隠れる。とても可愛いらしい。
チャイをいただいた。
このチャイは格別に甘い。砂糖をどっぷり入れているのだろう。
英語は当然しゃべれない。途中から来たもう1人の大人はかろうじて簡単な英語はしゃべれたから軽く通訳みたいな事をしてもらいながらしゃべったが、ほぼほぼ内容はわからなかった。
向こう側にラクダがいる。ラクダは繋がれているのもいれば、繋がれていないラクダもいた。ちょっと見せてくれないかと頼み、ラクダに近寄る。子供達はついてくる。そして驚いた。なんと「黒いラクダ」がいるのだ。一回り小さく、見るからに子供であろう黒いラクダだ。ラクダって子供の頃は黒いのか?ラクダの種類だからなのか?よくわからなかったが、とにかく黒いラクダも非常に美しくて、母親ラクダと一緒に過ごしていた。
すぐに思う。ここにいるラクダ達は、気持ち良さそうだ。
観光名所で観光客に股がられているラクダ達と全く違う。苦しそうではなく、穏やかに過ごしている。観光名所で引かれているラクダ達はいつも苦しそうな表情をしている。時々雄叫びをあげるが、悲鳴をあげているように聞こえてあまり気持ちのいいものではない。それでもラクダの声を始めて聞いた時は驚いた。
子供たちは自分が移動する旅についてくる。
シャイ達も僕がラクダに触ろうとすると喜んで触ってくれと進めてくれる。
そして写真を撮っていいかと聞くと、喜んでカッコいいポーズを決めてくれる。自分が喜びそうな事には全力でもてなしてくれる気持ちが本当に嬉しかった。ありがたかった。
ここにいる人達はたぶん読み書きもロクにできないのであろう。
子供達も学校に行っているのか、行っていないのかすらもわからない。
当然ここには高価な物は何もない。
だがここの人達のハートは美しい。
子供達は裸足で全力で遊んでいる。
そして元気に駆け回る。本当に元気だ。そして瞳が美しい。
何でも興味を示す純粋な心がここにはあるのだ。
夜の星空は間違いなく綺麗だろう。
およそ30分程だった。だが、帰りのタクシーの中では今の出来事がアタマから離れなかった。
どれだけ貧困なのか。
それでも満足している彼らの心境はどうなのだろうか。
自分がこの場所に生まれたとしたら、どうなっていたのだろうか?
ここから立ち上がるには何が必要なのだろうか。
そしてそれは可能なのだろうか?
貧困とは何なのだろうか?
疑問がたくさん残った。
ただ一つ確かな事は、今後も貧困について考え続けていかなければならないという事だ。
一日を考える.2
一日を再び考える。
どうしたら効率よく一日を過ごす事ができるようになるのだろうか。
以前は「起きたらなんでもいいからすぐ外に出る」という事を記述した。
この効果は絶大で、これを行ってから一度も「二度寝」をしていない。
それほどに意識が変わるのと、脳が起きているのだろう。
更に「このすぐ起きて外に出る習慣」を継続しているうちに、ある事に気づいた。
それは、「朝日を浴びる事」だ。
当たり前といえば当たり前かもしれないが、これは自分にとっては大きな発見だった。
朝日が人間に与える効果というのは思っていた以上に大きい。
朝日を見る事で目は冴えるし、なぜこんなに朝日が綺麗なのかという事も考え始める。
この「考え始めている事」は脳が起きている証拠だと思う。
朝早く起きて、走りでも歩きでもなんでもいい。
とにかく朝日を浴びに行く。
朝日が出ていない場合は、ランニングをすればいい。
この行動こそが、その日一日を決定づける行動だと言っても過言ではない。
スポーツと全く同じでスタートダッシュが最も大切だ。
だからこの自分の「体を起こす」という作業は、一日を効率化させる為に最も大切な事なのだ。
そして次に家に戻って来た時にすべき事はなにか。
それは「一日の目標を立てる」という事だ。
できれば細かいスケジュールなどの方がいいが、それを行ったとして全てを継続的に達成し続ける事は難しいし続かないのは目に見えている。
だから「なんでもいいからその日の目標を立てる」だ。
朝食をとってはいけない。
必ず忘れる。
パソコンも触ってはいけない。
必ず忘れる。
スマホも触ってはいけない。
必ず忘れる。
だから、家に戻る前だ。
そしてその目標を忘れないように必ず「書く。」
これを書いていなければその一日は良いスタートダッシュをきれなかった日だ。
一日終わった時にその目標を振り返る。
達成できたのか、達成できなかったのか。
達成するためにはどうすればよかったのだろうか。
きちんと考える。考えて、振り返る。
それが大切なのだ。
だから今現在自分の考える一日の効率的に考える手段としては、
起床。
すぐ外に出る。
朝日を浴びに向かう。
目標を立てる。
帰宅。
書く。
という順序だ。
これが必ず自分の一日の効率化に繋がる。
もう一度言う。
人間は忘れる。
だから今もう一度確認をする。
考えるために今自分はここにいる。
効率的に一日を過ごす為にはどうすればいいのかを考えるために今ここにいる。
生き残る為に今ここにいる。
だから朝日を浴び終わった今このブログを書いている。
そこを忘れてはいけない。
本を読んで考える.1
もう何度もこのブログに書いているが、このブログの目的は自分の「考える力」を鍛える為に書いている。
そしてその為に、できるだけ本を読まないようにしている。
なぜか?
それは「本を読む事は答えを見る行為と同じ」だからだ。
この世の中にはたくさんの頭の良い人達がいて、その人達が書いた本を読めば効率的に学習する事ができるだろう。実際自分も今までそうやって、しばらくの間本をたくさん読んでいただ時期もあった。しかし、そんな情報今覚えているのがいくつあるだろうか?
実際「考える力や思考力の鍛え方!」みたいな本もこの世の中にはたくさんある。
しかし、上記の理由からできる限り本は読まないでこのブログを書いていた。
そして今回あえて1冊の本だけ読む事にした。
これは「考える事が楽しくなってきた」という理由を止めたくなかったからだ。
ここで止まってしまっては元も子もない。
だからもう少しだけ楽しく、そして自分の「知識欲を利用して」一冊の本だけ読む事にした。
それがちきりんさん著の「自分のアタマで考えよう」という本だ。
この本は「自分の頭で考える事の重要さと方法」について細かく書かれており、ブロガーであるちきりんさんも自分と同様な悩みを抱えていたようで、親近感がわいた。
この本でちきりんさんは「自分で考える力をつける為には、本を読む事は非効率だよ」という事を書いている上に、出版しているから面白い。
そして、この考え方は、自分が考える力をつけようと思ってネットに頼らず本を読まずに一つ一つ自分で考えていこうと考えた事と同じだったから嬉しい。
しかし、この本を読んだ事によって自分は「考える力の鍛え方の答え」を見てしまった事になるのだ。
改めて「答えを見るという行為」を認識した。以前はこれすらも全く気づかなかったが、今回は「答えを見た」という行為が自分自身で認識できた事も、一つの成長と言っていいだろう。
内容は当然ながら、「ちきりんさんが考え抜いた答え」がたくさん乗っており、大事な内容が詰まっていた。
そこで基礎中の基礎だけまとめる。
それは考える時は「知識と思考は区別する事から始める」という事だ。
知識はもともと自分が持っているもの。
思考はその自分の知識に影響されずに、物事をありのままに見て考える力だ。
例えば今この「知識と思考は全くの別物で、この2つを区別するだ。」という事も1つの知識となったわけだ。
しかしここで大切なのは、これに対して疑問に思わなければならない。
なぜ知識と思考は別物なのか?
これが説明できなければ、この答えも自分の血肉化されていないと言っていいだろう。
だから先人の考え抜いた答えを得る時は「必ずその内容を説明する事ができる」までしないと意味がない。
結果的に、自分がこの本を読んだ事は、「ただ単に本を読んだだけでは全く意味がない」という事を考えさせてくれた。
自分を考える.2
自分は一体どんな人生にしたいのだろうか?
「なりたいものになれるのは、なろうと思ったものだけ。」
という言葉があるように、「俺はこうなる!こうなりたい!」などの「強く思う動機」からその人の人生が形成られるのだと思う。逆にこういったビジョンがなければ、何もないまま、かつわからないまま周りに影響され、人生は静かに終わっしまうだろう。「動機」は幼少期に刻まれる人もいれば、大人になってから自分で決める人だっている。どんな人生にしたいかは人それぞれのタイミングであって「思ったその時」がスタートなのだ。
そして今考える。
自分は一体どういう人生にしたいのだろうか?
自分は「カッコイイ人生」にする。
▼では自分のカッコイイ人生とは何か?
この「カッコイイ」という定義は非常に大切で、ここが曖昧になっていては「曖昧なカッコイイ」になってしまうだろう。だからこの「自分が思うカッコイイ定義」をきっちりとまとめる事にする。まず自分の従来を振り返る。
▼従来の自分のカッコイイとは?
・高級車を乗っている。
・高層マンションに住んでいる。
・女性にモテる。
・名声がある。
・海外によく行く。
・英語が話せる。
・旅をしている。
要するに「カネ持ち」だ。カネモチは何かしらで結果を出している証拠だと思うし、実際今でもカッコイイと思う。
ではこれらの動機は一体何なのだろうか?
それはほとんどが「欲」からの動機だ。
高級車が欲しい、マンションが欲しい、もっと女性からモテたい、もっと人から尊敬されたい、もっとカネが欲しい。全ては物欲、性欲、承認欲などの「欲」から来ている。
欲を満たしたいから、カネが欲しいのだ。
「欲からの動機」を達成して果たして自分は人生に満足するのだろうか?
ベンツを買えば、次はランボルギーニが欲しくなって、ランボルギーニの次はベントレーとなり、ベントレーの次はブガッティ、ブガッティの次はプライベートジェット。。
新しいものに乗り換えるのはメリットもあると思う。それは、「新しいものに適応する能力」がつくようになる事だ。車が新しくなれば操作方法だってまた覚えなければならないし、サイズだって変わるだろう。その都度また新しく「慣れる=適応」しなければならないのだ。これは時代に適応するのと同じで、「人間の適応能力」が長けていく事はメリットだと思う。「1つの物を大事に長く乗る」のか、「人間の適応能力を育たせる為に何度も消費する」のかは人それぞれだと思う。
改めて、自分へ問う。
人生の大部分を、「プライベートジェットを手に入れる為」に働きたいだろうか?
そのプライベートジェットで人を集めてハワイのホテルを貸し切ってパーティーして、心の底から楽しいと思うだろうか?そしてそれをやっている自分自身を宇宙から眺めた時に、心の底からカッコイイと思えるだろうか?
今は素直にイエスと言うことはできない。どう言ったって疑問が残る。
ではこの「欲」を除いて考えたらどうだろうか?
▼次に今現在、自分が思う「カッコイイ」を考える。
・真剣に「考える事」ができる。
・自信がある。
・約束を守る。
・優しい。
・自分を守る事ができる。
・助ける事ができる。
・嘘をつかない。
・信頼できる。
・ダサい事をしない。
・素敵な女性が側にいる。
・迷惑をかけない。
・英語を話す事ができる。
・無駄な事をしない。
・何かに向かっている。
一つ一つ掘り下げていく必要があるが、「考えることができる。」と「ダサい事をしない」は大きなポイントだろう。その他の事はそれに派生したものだと言ってもいい。
この2つを掘り下げみることにする。まずはダサイ行動とは?
▼では自分の思うダサい事とは何か?
・嘘をつく。
・自分の事しか考えられない。
・思いやる気持ちがない。
・自信がない。
・依存している。
・自分の意思がない。
・人のせいにする。
・無責任。
・女性を落とせない。
▼考える事の重要性とは?
・考えられるから、「自信がつく」
・考えられるから、「約束を守れる。」
・考えられるから、「優しい。」
・考えられるから、「自分を守る事ができる。」
・考えられるから、「助けられる。」
・考えられるから、「嘘をつかない。」
・考えられるから、「信頼ができる。」
・考えられるから、「素敵な女性が側にいる。」
・考えられるから、「英語を話す事ができる。」
・考えられるから、「無駄な事をしない。」
・考えられるから、「何かに向かっている。」
考えられるから、カッコイイ行動ができる。逆説的に考えれば、「カッコいい行動をしているから、考えられる。」ものすごくシンプルに考えると、自分が「カッコイイと思う行動を増やしてダサいと思う行動を減らす」事が、「自分のカッコイイ人生」になる。だから1日1日を振り返って、自分が思うカッコイイ行動を日常的に増やしていく必要がある。そのカッコイイという行動の一つ一つが自分を少しずつ形成して、カッコイイ人生にしていく。逆に言えばダサい行動が増えれば、ダサい人生になっていく。
自分が考えている人生は思った以上にシンプルだが、この一つ一つを明確に自分の体に刻み込んでいく事が今の自分にとって必要な事だ。
そして最も大切な事は、「自分との約束を守る事」。
自分との約束を守れないようでは、人との約束も守る事もできません。
自分を守れないようでは、人を守る事もできません。
自分の人生は自分だけのものです。
自分の人生を決めるのも自分だけです。
自分を信じられるのも自分だけです。
だから自分を信じて真っ直ぐに前に進みます。
エネルギーを考える.1
この星を少しずつ理解したい。
そしてこの星を理解するには、「エネルギーの理解」が必須だということに気づいた。
▼エネルギーとは何か?
エネルギーとは「仕事をすることのできる能力」の事。
仕事ができる = エネルギーがある
仕事ができない = エネルギーがない
と言い換えてもいいだろう。
エネルギーが仕事を生み出しているのであるから、エネルギーがなければ仕事はできない。
そしてエネルギーは僕たちの暮らしの中で毎日活躍している。
「位置エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギー、光エネルギー、音エネルギー」と種類は様々である。
▼エネルギーはどうやって発生しているのだろうか?
エネルギーは分子や原子といったものから発生している。そしてエネルギーは変換する事ができる。
例えば「電気エネルギー」はコンセントからドライヤーを通して、「熱エネルギー」に変化される。
こたつやパソコンも同様だ。
別の例で言えば、「電気エネルギー」は電気自動車を通して、「運動エネルギー」に変化する。
全て変換での総和エネルギー量は変わらず、これを「エネルギー保存の法則」という。
▼エネルギーの材料とは?
エネルギー(仕事をする力)の材料となるのには「一次エネルギー」と「二次エネルギー」がある。
「一次エネルギー」は自然界から取れた人間の手が加えられていないものだ。
例:石油、石炭、天然ガス、ウラン(採掘資源)、太陽光、水力、風力(再生可能エネルギー)、薪、木炭
「二次エネルギー」とは一次エネルギーから変換加工して得られたエネルギーの事をいう。
例:ガソリン、都市ガス、電気、プロパンガス
化石燃料とは「微生物の死骸、植物などが何億年という年月をかけて化石化したもの」と考えられている為、化石燃料と言われる。これらの化石燃料は、世界のエネルギー消費における約85%を占めている。
特徴としては化石燃料を使用すると二酸化炭素が発生する為、化石燃料は使用すればするほど地球温暖化が問題だ。
例:石油、石炭、天然ガス
ここでは分かりやすく「熱エネルギー」を例にとってまとめてみる。
▼熱エネルギーとは何か? (thermal energy)
熱エネルギーとは、物体を構成する原子、分子の熱運動のエネルギーである。
▼熱エネルギーを発生させるには何が必要なのだろうか?
自然界で採掘する事ができる、石油や石炭、天然ガスなどの化石燃料を使用して大量に発生させる事ができる。
また、手をこすり合わせて摩擦を起こし暖かくなる現象も同様に熱エネルギーが発生している。
▼では石油とは何か?
映画などで出てくる、黒いどろどろしたものが「原油」であってそれを加工した総称が「石油」である。
原由から作られた総称を石油と呼ぶ。更に石油には種類があり「ガソリン、灯油、軽油」などに分けられる。
つまり
原油 → 人間が製品加工 → 石油製品 (ガソリン、灯油、軽油、ジェット燃料、洗剤)
となっている。
つまり原油がなければ普段私たちが使用しているガソリンや、ストーブの灯油は使用する事ができない。
▼では原油はどこで取れるのだろうか?
原油は主に中東で採掘する事ができる。主にサウジアラビアやUAE、カタール、イランなどだ。
日本では原油が発掘できるが、日本が使用している年間の1日分しか採掘する事ができず、実質全く採掘できていない。だから日本が使用している石油製品は全て中東から輸入している。2015年のデータによればサウジアラビア30%、UAE23%、イラン11%、カタール10%、クウェート7%とと続いている。
1973年、1979年の二度になって起きたオイルショックでは、日本は大打撃を受けた。
こういったエネルギー問題は日本にとって非常に深刻だ。
何より石油が使えなくなる、という事を考えただけでも間違いなく生活は不便になるだろう。企業は大打撃を受け、生産性は確実に低下する。日本で原油が採掘できれば当然素晴らしいが、そう簡単にはいかないだろう。日本は石油だけでなく、石炭、天然ガスも輸入に依存しており、自国のエネルギー自給率はたったの6%。ちなみに現在微量ながら発掘されている場所としては、新潟県から秋田県、北海道となっている。
これらの熱エネルギーはこの世界に存在する様々なエネルギーの中の一種類である「熱エネルギー」にすぎない。これらの「エネルギーを考える」事は「この星を知る事」に繋がっており、日本を考える事にも繋がっているのだ。
星を考える.1
今日久し振りに星を見上げた。
2年前、都会にいると全く気づかない星に、ある日「星がある事」に気づいた。
星がこんなに光っていた事に驚く。
そしてこんなに側に、たくさんあったことに更に驚く。
星に気づいた時、周りの景色が変わって見えた。
すぐさま、「星の王子様」をキンドルで購入したのを覚えている。
そもそも、星はなぜあんなに光っているのだろうか。
なぜこんなに多くあるのだろうか。
地球以外に星はどれくらいあるのだろうか。
わからない事だらけだが、とにかくその時から星が好きになった。
だからなぜ星があるのかを考える。
星の漢字を見ていると、「日」と「生」でできている。「日が生きている」という事なのだろうか。
地球は立派な星だ。別名「水の惑星」とも呼ばれていて、地球の70%は水で覆われている。
宇宙からみた星は表現できない「青」らしい。
そして宇宙は無限に広がり続けているという。
考えれば考えるほどわからない事だらけだ。
最近では月に行く人もでてきているし、イーロンマスク率いるspace x は地球人を火星に住ませる為にバンバン格安ロケットを飛ばしている。Amazonも月まで配達する事をミッションとしているから、地球人が宇宙に飛び出す日がくるのもそう遠くなさそうだ。
手塚治虫の「火の鳥」でも人間が宇宙に飛び出す様子が描かれている。
宇宙の「う」の字すらも知らない自分にとっては宇宙に行く事は夢のようだったが、IT業界の指数関数を考えるといよいよ可能性が開けてきたと感じる。
自分は紛れもなく地球人であると同時に、宇宙に住んでいる宇宙人でもあると思う。たしかに大気の関係で息ができないとかはあるが、地上と宇宙に「線」なんてないわけだし、宇宙に住んでいる自分が宇宙と全く関係がないわけがない。
そしてこの宇宙を理解する事が、自分の人生を理解していく事につながっている、良い仕事を生み出す事に繋がっているのではないかという気がしてならない。