貧困を考える.1
現在エジプトにいる。
昨日タクシーの運転手から彼のおじの家に来ないかと言われたので、お邪魔させていただいた。シナイ半島の田舎中の田舎道を走り、砂漠の中にその家はあった。
目の前には大通りが一本しかなくて、家は6個程、ラクダが7匹ほどいた。
彼の叔父に会い、名を「シャイ」と言った。
相変わらずアラビア人の名前は覚えずらい。
大人が更に2人来て、その後子供が十人ほど自分を見に来た。全員裸足だ。ここはエジプトの中でも田舎中の田舎だから、自分みたいなアジア人が珍しいのだろう。彼らは自分をとても不思議そうな目で見て、声をかけると照れ臭そうにちょっと隠れる。とても可愛いらしい。
チャイをいただいた。
このチャイは格別に甘い。砂糖をどっぷり入れているのだろう。
英語は当然しゃべれない。途中から来たもう1人の大人はかろうじて簡単な英語はしゃべれたから軽く通訳みたいな事をしてもらいながらしゃべったが、ほぼほぼ内容はわからなかった。
向こう側にラクダがいる。ラクダは繋がれているのもいれば、繋がれていないラクダもいた。ちょっと見せてくれないかと頼み、ラクダに近寄る。子供達はついてくる。そして驚いた。なんと「黒いラクダ」がいるのだ。一回り小さく、見るからに子供であろう黒いラクダだ。ラクダって子供の頃は黒いのか?ラクダの種類だからなのか?よくわからなかったが、とにかく黒いラクダも非常に美しくて、母親ラクダと一緒に過ごしていた。
すぐに思う。ここにいるラクダ達は、気持ち良さそうだ。
観光名所で観光客に股がられているラクダ達と全く違う。苦しそうではなく、穏やかに過ごしている。観光名所で引かれているラクダ達はいつも苦しそうな表情をしている。時々雄叫びをあげるが、悲鳴をあげているように聞こえてあまり気持ちのいいものではない。それでもラクダの声を始めて聞いた時は驚いた。
子供たちは自分が移動する旅についてくる。
シャイ達も僕がラクダに触ろうとすると喜んで触ってくれと進めてくれる。
そして写真を撮っていいかと聞くと、喜んでカッコいいポーズを決めてくれる。自分が喜びそうな事には全力でもてなしてくれる気持ちが本当に嬉しかった。ありがたかった。
ここにいる人達はたぶん読み書きもロクにできないのであろう。
子供達も学校に行っているのか、行っていないのかすらもわからない。
当然ここには高価な物は何もない。
だがここの人達のハートは美しい。
子供達は裸足で全力で遊んでいる。
そして元気に駆け回る。本当に元気だ。そして瞳が美しい。
何でも興味を示す純粋な心がここにはあるのだ。
夜の星空は間違いなく綺麗だろう。
およそ30分程だった。だが、帰りのタクシーの中では今の出来事がアタマから離れなかった。
どれだけ貧困なのか。
それでも満足している彼らの心境はどうなのだろうか。
自分がこの場所に生まれたとしたら、どうなっていたのだろうか?
ここから立ち上がるには何が必要なのだろうか。
そしてそれは可能なのだろうか?
貧困とは何なのだろうか?
疑問がたくさん残った。
ただ一つ確かな事は、今後も貧困について考え続けていかなければならないという事だ。