学びを考える.1

学びとは何だろうか。

学ぶとは「まねる」から派生していると聞いたことがある。

学ばない人はそこで成長が止まり、学び続けることが人を成長させ続けるのだと思っている。

そして学ぶ事は生き残る事にも直結している。

 

エジソンが電気を発明した。

そして全世界が電気を真似た。

スティーブ・ジョブズが i phoneを創造した。

全世界がスマートフォンを真似た。

 

隣の畑が潤っていたら、なぜ賑わっているのか考える。

何が違うのか?

生き残る為に、考えて、真似る。

 

人間は誰でも真似る。全く真似ない人などいるのだろうか?

自分もいろんな人を真似たから今の自分がある。だから言い方としては、「真似させてもらった」というのが正しくて、真似させてもらった人や物には感謝の気持ちを忘れてはならない。

人から「誰かからもらい続ける事しか考えない人間」になっては、最後は「奪われ続ける側の人間」になる気がしている。

 

だから「真似る事」は悪い事ではない。卑怯ではないし、当たり前なのだ。

人類は誰かが「発明して、全員が真似をし始める」から進歩していく。

そしてその遺産を残したい。来世によりよく、かつ正確に残す為に「歴史」があるのだ。

 

だから人は歴史から学ぶ事ができる。自分たちの祖先はどこからきたのか。これまでどういう旅路を辿ってきたのか。残念ながら、日本語でこれらのドキュメントを残しているのは、全世界に比べると圧倒的に少ないだろう。ほとんどが英語だ。とにかく、自分が思っている以上に歴史はもっともっと深く、そしてまだまだ解明されていない。いつの時代も人間は人間だ。きっと人間の根本のところは変わらないのだと思っている。だから自分たちは、今目の前の現象からも、過去の先人達からも同様に、「真似る」事はできるのだ。

 

ではどうすれば自分の学びたい事を効率的に学ぶ事ができるようになるのか。

ここに「興味」という大きなキーポイントが入ってくると考えている。人間には「興味」という感情がある。「知りたい、気になる」という感情だろうか。これを学びに利用するのが一番効率的だと思っている。ハッキリ言って、興味がない事をいくらやった所で続くわけがないし、嫌な期間が続くだけだ。自分の好きな事や、興味のある事を学んで言った方が絶対的に効率が良い。

 

第一に、「率先して行うようになる」全く義務的な感情がなくなるのだ。そうなれば苦痛でもなんでもない。あとは勝手に引き寄せられるように自分から率先して行うから続く。

 

第二に、吸収力が違う。興味があるものとないものとの自分への血肉化されるとして、全く吸収力が違うと思っている。好きな物を理解した時は一回で一生忘れないが、数学の公式は高校でやっても大人になれば忘れる。

 

そしてこの「興味」というのは年齢を重ねる毎に低下してくると思っている。しかし、大人になっても興味が薄れない人達がいる事も事実だ。なぜこの人達は興味が薄れないのだろうか?大きく2つあると思っている。

一つは「興味の大切さを理解している」ということ。

興味から始まり、やり続けた先の達成感を知っているから、他の事でも同じ事をやろうとする。それ以上の達成感を味わおうとするのだ。だから常に次の物を探していて、興味を感じる物があれば実際にやってみるのだ。「達成した経験」がある人はその先を知っている。

言い方を変えれば、カネを稼いだ人間は、カネは稼げる事を知っている。

有名になった人間は、有名になるやり方を知っている。

宇宙に行った人間は、宇宙の行き方を知っている。

興味から人生が変わった人間は、興味の大切さを知っている。

 

二つ目は「エネルギーがある」という事。

人間には見えないエネルギーが宿っている。そしてそのエネルギーを絶え間なく燃やす続けている人間だ。その人にエネルギーがあるから、この世界の何の物にでもとっつきやすいのだ。毎日嫌な思いばかりをしてエネルギーを消耗していたら、目の前に海があったとして飛び込めるだろうか?だから、「毎日幸せ!」だと心の底から思う事は、興味を引き出す事に大きく作用されると思っている。だから自分の生命エネルギーをどう引き出すかという事はとても重要なポイントだ。

 

生物はなぜ「学ぶ」のだろうか。

なぜ自分は学ぶのだろうか?

現時点で分かっている事は「生き残る」という事だけだ。

学ぶ事は生き残る事に直結している。

「そうだったんだ!」という大きな感情が芽生え、心が動く事もある。

これは幸福感に近いだろう。

そして過去との同じ過ちを繰り返さない為に、「歴史」がある。

人間は賢いから、歴史から学べるはずだ。

それでもなお戦争は終わらない。

自分たちの心の奥底に大きな「ナニカ」が眠っている限り。