退屈
おカネ持ちと、おカネがない人の共通点とは何だろうか?
それは、「人生がつまらない」という事だという。
この論理でいくと、おカネがあっても人生が楽しいとは限らない。
おカネがないと、できる事が限られるから人生が厳しいのは容易に想像できるが、おカネがあったも人生がつまらないというのは本当だろうか?
そもそも、「おカネがある事」と「人生が楽しい事」って関係があるのだろうか?
おカネがあるから、人生が楽しい?
人生が楽しいから、おカネがある?
たしかにカネがあったら、できる事が増える。
選択肢が増えると同時に時間もできる。
やろうと思えば、大抵の事はできるようになる。
だけど、それって本当に楽しい事なのだろうか?
定年になって、趣味を見つけようとして、ゴルフを始めたり、絵を描き始めたり。
だが、「ただの暇つぶし」のようにも見える。
おカネがあっても人生がつまらないのであれば、それではカネを稼ぐ意味はない。
実際に、カネがなくても、人生を楽しんでいる人は、存在すると思う。
だったら、初めからカネなんて最低限だけあればいいのではないだろうか?
実際にカネがあって、退屈している人生は、消耗戦に過ぎない。
貯金して、いい事なんてない。
脂肪が体内に溜まり続けると体に悪影響を及ぼすように、カネも溜まり続けると、体に悪影響を及ぼす。
なぜならば、カネは本来使ってこそ価値を発揮するものであり、貯金をするという事は、カネの価値を放棄している事と同じだからだ。
そして、溜め続けた結果、退屈を感じる。
退屈を感じると、刺激を求めるようになる。
カネモチが低レートよりもハイレートのギャンブルを行うように。
でも刺激はカネがなくても感じられるのではないだろうか?
刺激を感じたいなら、ビルの屋上に行って、ギリギリ端を歩けば、かなり刺激的だと思うが。
カネを使わなければ、刺激を感じられなくなるようになるって恐ろしい。
と同時に、退屈な人生ほど、人間を堕落させるものはない。
ただ、食べて、寝るだけの生活に活路はない。
退屈を感じたり、面白いと思ったり、刺激があったり、悲しんだり。
自分には想像できないいろんな事が起こるから、人生は楽しい。