大量のアウトプットによって、頭の情報が整理される。
成長にアウトプットは必須だ。
では、なぜアウトプットが必要なのか考えたい。
アウトプットには、大きく2種類ある。
一つは、声に出して発信する事。
二つ目は、文章、動画、絵、造形、で表現する事。
一見文章はアートでないように見えるが、文字も絵の連続であり、絵の連続の組み合わせが文章になる為、アートと考える。
生活の中で様々なインプットがあって、インプット側が利を得るのは明らかだ。
では、アウトプット側に利がないかというと全くの逆である。
アウトプットする側は、一番大切な「思い出す」という行動をするからだ。
この思い出すという行為は、人間にとって楽な行為ではない。
しかし、思い出すというのは、苦だけでない。
例えば、懐かしいことを思い出すと良い気持ちになったりするものだ。
この何度も思い出すという行動が、結果として海馬にある短期記憶から、大脳皮質への長期記憶となる。
長期記憶は、自分の一生の財産となる。
では、どうすれば思い出す事を上手に行う事ができるようになるのか?
例えば、引き出しの中に入っている洋服がパンパンだったとする。
ボタンが引き出しの奥にひっかかっていたり、はさまっていたら、引き出しはあけにくい。情報は入っていても、出すのに毎回時間がかかる。これは非常にストレスだ。
だからこのストレスを取ってやらなければならない。
ではこのストレスをどう取り除けばよいのかといえば、引き出しに適切な量の適切な洋服をしまう事だ。
だからアウトプットを円滑に進める為には、「頭の中の整理」がされていなければならない。
ではどうすれば頭の中が整理されるのだろうか?
それは大量のアウトプットだ。
一回や二回で、その引き出しをスムーズに開けられる事は難しい。
しかし、100回、1000回となれば、引き出しを開ける事がスムーズになる。
これは、筋トレをするのとまったく同じだ。
なぜならば、脳の神経回路が太くなり、その神経回路が脳に定着し始めるからだ。
て、新しい情報は適切な場所に記録され、必要な時に、必要な分だけ使えるようになる。
当たり前のように、声に出す。
当たり前のように、書く。
当たり前のように、創る。
昔から言霊という言葉があるほど、言葉や文字の力は大きい。
普段口にしている事は、実現しやすくなる事も事実だと考えている。