ギャンブルの1%
ギャンブルで勝っている人は存在する。
そして、ギャンブルで人生を狂わせた人はその何万倍といる。
ギャンブルでは99%が負け、1%の人が勝つ。
そして1%の中には、運営側も含まれる。
つまり、純粋にゲームとして勝っている人は、0.1%もいないだろう。
カジノ側は100%勝つビジネスをしている。
だからカジノは儲かるし、ギャンブルは尽きない。
ギャンブルで唯一勝てる方法は、負けない事だ。
では負けないようにするにはどうすればいいのだろうか?
それは、ギャンブルに手を出さない事だ。
ギャンブルに手を出さなければ、負ける事はない。
退屈
おカネ持ちと、おカネがない人の共通点とは何だろうか?
それは、「人生がつまらない」という事だという。
この論理でいくと、おカネがあっても人生が楽しいとは限らない。
おカネがないと、できる事が限られるから人生が厳しいのは容易に想像できるが、おカネがあったも人生がつまらないというのは本当だろうか?
そもそも、「おカネがある事」と「人生が楽しい事」って関係があるのだろうか?
おカネがあるから、人生が楽しい?
人生が楽しいから、おカネがある?
たしかにカネがあったら、できる事が増える。
選択肢が増えると同時に時間もできる。
やろうと思えば、大抵の事はできるようになる。
だけど、それって本当に楽しい事なのだろうか?
定年になって、趣味を見つけようとして、ゴルフを始めたり、絵を描き始めたり。
だが、「ただの暇つぶし」のようにも見える。
おカネがあっても人生がつまらないのであれば、それではカネを稼ぐ意味はない。
実際に、カネがなくても、人生を楽しんでいる人は、存在すると思う。
だったら、初めからカネなんて最低限だけあればいいのではないだろうか?
実際にカネがあって、退屈している人生は、消耗戦に過ぎない。
貯金して、いい事なんてない。
脂肪が体内に溜まり続けると体に悪影響を及ぼすように、カネも溜まり続けると、体に悪影響を及ぼす。
なぜならば、カネは本来使ってこそ価値を発揮するものであり、貯金をするという事は、カネの価値を放棄している事と同じだからだ。
そして、溜め続けた結果、退屈を感じる。
退屈を感じると、刺激を求めるようになる。
カネモチが低レートよりもハイレートのギャンブルを行うように。
でも刺激はカネがなくても感じられるのではないだろうか?
刺激を感じたいなら、ビルの屋上に行って、ギリギリ端を歩けば、かなり刺激的だと思うが。
カネを使わなければ、刺激を感じられなくなるようになるって恐ろしい。
と同時に、退屈な人生ほど、人間を堕落させるものはない。
ただ、食べて、寝るだけの生活に活路はない。
退屈を感じたり、面白いと思ったり、刺激があったり、悲しんだり。
自分には想像できないいろんな事が起こるから、人生は楽しい。
コロナショックからウクライナショックへ
ロシアがウクライナに侵攻し始めてから、コロナの話題は少なくなった。
というよりも、薄れたと言った方が正しいのか。
コロナウイルスが、割と普通の風邪っぽい事が少しずつ公になってきているのではないだろうか。
マスクをしているのが未だに当たり前だが、感染者が1万人を超えていても、人々の意識が変わる様子はない。
依然としてまんえい防止法は出ているが、居酒屋はもはやこのままでいいと思っているのではないだろうか。
そもそも、店がオープンしたとしても、またみんな外で深夜まで飲み歩くようになるのだろうか?
本当はコンビニだって24時間もやっている必要なんてないし、居酒屋もあんなに多く朝方まで営業する必要はなかったのではないだろうか?
今年、いよいよコロナが空ける。
コロナの話題が過ぎ去ったこれからの時代がどうなるのか楽しみだ。
今はロシアの話題になっているが。
人々は次は何の話題にくぎづけになるのだろうか。
パズル
11月も今日で終わりだ。
11月は凄く変化があった月だった。
というよりも、自分の頭の中にあるピースが、パズルのように少しずつ埋まっていく感があった。
新たな決意があり、自分の信念がより一層高まったと思う。
昔読んだ本にこんな言葉があった。
「よく考えるという事は、よく視る事である。」
俺はここに一言付け足したい。
「よく考えるという事は、よく見る事である。なぜならば、よく視る事によって、よく気付く事ができるからだ。」
よく視る事によって、よく気付く。
よく気付く事によって、よく考える。
気づくってなんだ。
俺は気付くという事は「発見」に近いと考えている。
同じリンゴを見ても、そこのリンゴから得られる情報は十人十色だ。
毎日リンゴを見ていたら、赤い事に気づくかもしれない。
リンゴに、穴が空いている事に気づくかもしれない。
リンゴが食べられるという事に気づくかもしれない。
多くの事は、気づいていないだけではないだろうか。
世の中の現象にも。人生にも。
「考える事 × 見る事 × 気づく事」
今それらが頭の中で回っている。
もっと人が喜ぶ事をしよう。
もっと人が喜ぶべきことを探そう。
もっと人が喜ぶ事を考えよう。
俺はまだまだ成長できる。