二ヶ月経って考える。


ブログを始めて約二ヶ月が過ぎた。

ここまでブログが続いたのは人生で初めてだ。

インターネットは必ず自分の脳を退化させる。

だからこそ自分の頭で考える力が今の自分にとって必要だ。

本気で考えるという事はどういう事を再度考える。

 


一.

現時点で左側にノイズが入っているのはよくない。だから文章を書く時は、必ずディスプレイ画面に文章以外の物が入らないように設定を買えなくてはいけないという事に気付いた。

 


二.

次に本気で考えているのかどうか。適当につらつらと日常を書いているだけでは適当な技術しか身につかない。1つのテーマを明確にし、死ぬ気で考え、文章構造を考え、書く。実行できているだろうか。

 


三.

書いているだけでも見返していなければほとんど意味がない。見返す事が重要なのだ。声に出して読んでいるか?納得が言っているか。再度考えているか。脳裏に焼き付ける作業は一度ブログを書いただけでは全く意味がないという事を再度認識しておく。

 


四.

テーマがぐちゃぐちゃになっている。まだ多くのテーマには触れない方がいいことに気づく。テーマが変わることは良い事だが、まだ一つのテーマに絞るべきだ。自分の絞るべきテーマは英語だ。

 


五.フィードバックをもらえる人を考える。現時点では必要はないが、将来的に公になる事を今から考え始めなければならない。ブログは良い意味にも、悪い意味にも、武器になる。

 


六.

時間を決めて書いているか?単純に時間の無駄。書く時間帯を決める事もルーティーンに繋がる。朝なのか夜なのか、何回なのか。ブログのデータを使わない手はない。

 

 

 

これだけでもかなりの収穫ができた。

どこまで自分の記憶に刻んでいけるかどうかは自分次第だ。

 

 

 

自分の人生は自分だけのものです。

自分の人生を決められるのも、自分だけです。

自分を信じられるのも自分だけです。

だから自分を信じて、真っ直ぐに前に進みます。

ブログを考える。

ブログの更新頻度が減ってきているので、原因を考える。

 

まずはこの10日間何があったのかを振り返ってみる。

10月9日、この日はエジプトのカイロにいた。ヌビアン村にステイした後、列車でカイロに移動したのだ。正直カイロは全くと言っていいほど好きではなかったが、2回目に訪れるカイロはなぜか居心地がよかった。なぜならば1番の目的は人に会うことだったからだ。

10月10日、人と合流する事ができた。以下この人をバディと呼ぶ。早速会議を始め、次の日に白砂漠へ行く事にする。

10月11日、白砂漠のツアーに参加する。参加者は5人で、メキシコ人、自分、バディ、フランス人の学生二人だ。朝の6時半カイロ出発、砂漠をひたすらかけめぐり、黒砂漠、ダイヤモンドマウンテン、白砂漠と到着する。初めてのガチの砂漠に感動する。夜は砂漠のど真ん中でディナーを食べ、ゲームをし、満点の星空の中で眠る。

10月12日、白砂漠の朝焼けをみる。まるで別の惑星だと感じる。その後車を走らせ、帰宅。かなりの長旅に早めの就寝をする。

10月13日、次の旅路を決める。目的はエチオピアサムスンギャラクシー9を買う。

10月14日、サムスンに付いてきたディスプレイを売る為に、カイロの電気街を駆け巡る。2200エジプシャンポンドで売れる。エチオピア行きのチケットを購入する。

10月15日、カイロ最終日、バディとそれぞれカイロの最終日を楽しむ事を約束し、カイロの街に出かける。入り組んだ街に出向き、ヘアカットをする。夜中の便に乗り込む。

10月16日、早朝エチオピアに着く。エチオピアの空港で朝を過ごし、タクシーでホテルまで移動をする。午後はマーケットに行き、フライトの疲労がかなり溜まっている。16時に就寝し、爆睡する。

10月17日、バディとエチオピアのソドレに向かう。なぜかバディの機嫌が悪くなり、ギクシャクした時間が流れる。勇気を出して話したところ、勘違いを解消する事に成功。帰りにここしかないと思い、告白をする。マダガスカル行きの片道チケットを取得する。

10月18日、エチオピアの首都アディスアベバの中心街、piazzaに移動をする。アボガドジュースを大量に摂取し、体の体調が悪くなる。エチオピア最大のマーケットをバディと楽しむ。バディがマダガスカル行きのチケットを購入する。バディの機嫌が良くなる。そして今ブログを書いている。

 

という内容であった。

原因は単純明快で、「人と一緒にいる」からだ。

自分の予定よりも、他人を優先するというマインドが働くのだ。

そして以前の経験からも、その「人」とは大抵が「女性」である。

自分は確実に女性からの影響を強烈に受ける事が明確だ。

それは、いい意味でも悪い意味でもだ。

だから「自分に対する女性の影響」を真剣に考えなければならない。

女性をもっと知らなければならない。

自分の人生にとって必ず必要な事なのである。

 

 

 

受け入れる事を考える。

今、エジプトの砂漠を車で走っている。

昨日、今日と12日で白砂漠に行ってきた帰りだ。乗車しているのは、エジプト人の運転手、メキシコの通訳者、フランスの学生2人、日本人の旅人2人。

 

白砂漠はエジプトのカイロから500キロ離れたオアシスからさらに100キロほど車を走らせた砂漠のど真ん中にある。当初の予定では全く行く予定がなかったが、せっかくの機会なので日本人の旅人に便乗して参加する事となった。

 

砂漠のど真ん中でエジプト式のテントを張り、食事を作り、星空の下で夕食をとる。真っ白の砂漠はまるでSF映画を見た光景そのものだ。その大昔、ここは全て海だった。それがゆっくりと地殻変動し、長い時を経てこの白砂漠になったという。

 

夕食をとった後は、焚き火を囲んでゲームをする。負けたやつは当然罰ゲームだ。エジプトの砂を使ったならではのゲームに大の大人達がはしゃぐ。結局全てフランス人の学生が負けて大笑いした。

 

終わった後はお待ちかねの星空タイム。今までいろんなところで星空を見てきたが、ぶっちぎりで綺麗だった。見れば見る程、星は増えていく。天の川はくっきりと現れ、流れ星は数分置きに流れた。自分達の地球だってこのたくさんある星の中の一つだ。70パーセント海でできているこの惑星は別名水の惑星と呼ばれる。他の惑星の人達からみれは、自分達は水の惑星の宇宙人なわけでいる。今この瞬間にも、他の惑星からこの地球を眺めている人達がいてもおかしくない。

 

今この世界でいろんか問題が起きている。

地球温暖化、大気汚染、環境汚染、シンギュラリティ、そして戦争。

 

いつも思っていた事がある。

それは

「俺は他の人とは違う」

という事だ。

 

俺は他の旅人と同じ事はしない。俺は他と違う食べものを食べる。他の人と同じ仕事をしない。俺は他の日本人とは違う。俺は環境汚染をしていない、俺は人を殺していない。。。。

 

あげればキリがない。そして、いくら自分がそう叫んだとしても何も変わらないのだという事に気付いた。いくら変えようと思っても、旅人と同じルートを通っているし、肉だって食べる。日本人という事実は変えられないし、生物も殺した事はある。もう自分をコントロールする事はできないのかもしれない。もしかしたら変えられない運命なのかもしれない。そう感じる事がある。

 

じゃあどうすればいいのだろうか?

それはいっその事「受け入れる事」なのではないだろうか。

俺が日本人である事実は変えられない。

俺が育った環境は変えられない。

俺に刻まれている魂は変えられない。

俺が生まれた惑星は変える事ができない。

 

だからそれら全てを「受け入れる。」日本人として生まれた事を受け入れ、日本人の良いところを活かして生きるように。地球人として生まれた事を受け入れ、この水の惑星を活かして生きるように。他の惑星の人達に、「水の惑星のやつらは素晴らしい」と言われるように。もっとこの惑星を美しい光で放ちたい。

 

地球で生まれた生物は皆同じだ。

この「同じだという事を受け入れる事」が重要なのではないだろうか。

村を考える。

 

ヌビアン村に4日間ステイさせていただいた。

ヌビアン村とはエジプトのアスワン周辺にいる7000年前から存在していて、今エジプトに住んでいるアラビア人とは別の民族である。

彼らの話によると、ヌビアンは合計で500万人いて、70程の村が存在している。

そしてその村全てが1つの家族で、村の誰かが結婚をすれば村全体でお祝いをする。

ヌビアン人は家族を最も大切にする民族だ。

ヌビアン人の1人が言っていた。

 

「家族は友達よりも強い。」

 

ヌビアン語は口頭で代々伝わっていて、彼らは読み書きとして残さない。

それ故に「ヌビアン語に読み書きは存在しない」のだ。

読み書きをしていない分、彼らの話をしている量は半端じゃない。

「圧倒的に話す量」が違うと感じた。

なんでもいいから話をする。間違っていてもいいから話をする。

英語だって高等な英語や単語をを知っているわけではないだろうが、かなり流暢に英語を話していた。

だから、言葉は「アウトプット」なのだ。

引き出す力。

これが言葉や言語を習得する上で非常に大切なのだと思う。

文章も同じ。

書くのもアウトプットだ。

そして自分が得意なのは「話のアウトプット」だ。

書くのも絶対的に必要。

だが自分の得意分野を見極める事も大切だ。

 

言葉がわかるという事を考えさせられる。

絶対にわからない言語。

俺はヌビアン語 の1単語すら知らない。

何を話しているのかわからない。

そういった事ほど恐ろしいものはないとも感じた。

逆に意思疎通ができるという事は本当に素晴らしい事だ。

 

アラビア人はヌビアン人の言っている事がわからない。

だからアラビア人はヌビアン人を恐れているという。

ヌビアン村の背後には広大な砂漠が広がっている。

砂漠で生き残るのは困難な為、アラビア人がヌビアン村の背後に回ろうと思っても事実上できないのだ。

ヌビアン村は「地の利と、家族、そして言語」を生かして現在まで生き残って暮らしている。

 

人の言っている事が理解できる。

書いてある事が理解できる。

直感的に相手が理解できる。

こういった事が、この地球を理解する事につながっていくのだ。

 

 

 

 

教育を考える。

俺は幸いにも教育を受けれた人だ。

だが未だに教育の大事さを根本からわかっていない。

そして今エジプトのハルガダという街にあるスラムを訪れた。

ここには教育が存在しない。

子供は裸足で駆け巡り、真っ当な職業は存在しない。

あるのは隣のゴミ山からゴミを集め、リサイクル工場に持っていく仕事のみだ。

ここの人達はただ毎日耐え続け、今日も一日を凌いでいる。

 

まるで「今の自分を写し出している」ようだ。


人間が初めから教育を受けなかったらどうなるのだろうかと考えた。

初めに思い浮かぶのは、文字が読めないという事だ。俺はアラビア語が読めない。だからアラブ圏に来てから不便さを実感している。それ故にカフェでのチャイすらもぼったくられる始末だ。

もし日本語も読めなかったらと考える。更に不便になる事は間違いない。

 

生きれるのだろうか?


更に、話す事もできなかったとしたらどうだろうか?

シンプルな「おはよう」や「こんばんは」はできるとしても、それなりの用語や語彙力がないとしたら?物を知らない。日本という国や宇宙が存在している事も知らないままだ。当然コンピューターも使えない。コンピュータを手に入れる事は困難になるし、手に入れたとしても文字が読めないから当然操作する事はできない。だから情報も手に入らない。計算もできない。歴史も知らない。


そして最も恐ろしいのは、「疑う」という事すらも知らないという事だ。

疑う事を知らないという事は、誰かに言われた事そのまま信じるという事だ。

誰かに言われた通りに生きれば楽である。

だから、楽に何も考えず、人の言われた通りに生きる人間となる。

そしていつのまにか、自分で考える事ができなくなる。

 

最も大切な「自分で考える」という事を知らない。脳を知ってるだろうか?自分の臓器の名称を知っているだろうか?砂糖を食べすぎると、体にどういった症状が出始めるか知ってるだろうか。


今の世界では教育を受けないで育つと、生きるのが非常に困難になる事は間違いない。だから先進国の大人達は子供達に必ず勉強をさせる。自分達が生きているこの21世紀の今はまさに「教育」こそが最も大切なのだ。


情報は無限大だ。ネットで検索すればいくらでも正しい情報が出てくる。

しかし検索しているだけでは「考える力」は身につかない。

知識は知ってれば知ってるほど有利になるだろう。知識は考える力を使う上での基礎みたいなものなのかもしれない。この情報革命が起こった現代で、ネット上の情報を追いかけ続けてもキリがない。ある程度の教育まで達しれば、後は自分の力で考える訓練をつけるのが正しい教育だと思う。

だから今自分もこうしてこの記事を書いているのだ。

 

教育。

大人になった今自分はどういう教育を受けたいだろうか。

子供に「なぜ波があるの?」と質問されたら答えられるだろうか。

俺は無理に答えを出す必要はないと思っている。

それよりも大切なのは、「一緒に考える」という事だ。

なぜ波があるのだろうか?分からない。だから一緒に考えてみようか。

生まれ変わったら、そんな教育を受けてみたいと思う。

 

エネルギーを考える。

人間にはエネルギーというものがある。

エネルギーがある人。

エネルギーがない人。

これは年齢に関係なく、環境に左右されるのかもしれない。

更にエネルギーがなくなってしまったら人間は終わりだという事。

だから「自分のエネルギーを出せる環境」を考える必要がある。

 

何でもいい。フリーダイビング でも、スキューバダイビングでも、スカイダイビングでも、絵でも、英語の勉強でも。とにかく自分のエネルギーを「最大限に引き出せる環境」を目指すべきだと思う。

 

以前はフリーダイビングをやっていた。

初めてあそこまで夢中になれた。

こんな世界があるとは知らなかった。

そしてあの時、何度もここで滞在してやるべきだと自分に問いかけた。

それにも関わらず、結局自分はダハブを出てカイロに来た。

そして今、またダハブに戻ろうとしている。

 

エネルギーを最大限に引き出す事ができれば、それは「何かを行う原動力」になり走り出す。

それは次につながっていく糧になるのだと思う。フリーダイビングは間違いなく自分にとってもプラスになるだろうし、あんなにいい環境で毎日海と過ごす事ができるのだ。

だが、自分の何かが歯止めをかけた。

 

「このままでいいのだろうか?」

 

なぜ歯止めをかけるのだろうか。

今楽しくて夢中になれれば、それでいいじゃないか。

自分を信じて思いっきり海を過ごしてみればいいじゃないか。

そこで思いっきり海を制してみればいいじゃないか。

それが今の君にとって必要な事なのではないだろうか?

 

だから今自分に向けるメッセージとして。

何でもいいからエネルギーを出し続けられる環境に移動するという事。

もう一度、今夢中になれる事を真剣に考えるべきではないだろうか。

 

旅を考える。

旅の醍醐味は自分と向き合う時間をくれる事だ。

これが1番のメリットであるし、デメリットでもある。

なぜかというと、「ありすぎる時間は苦痛」になるからだ。

 

どれくらい時間があるかというと、朝から晩まで自由に自分が時間を使えるのだ。

一日ビールを飲むことだってできるし、一日勉強をする事もできる。

人とずっとずっと一緒にいるわけでもない。

誰とも話さない一日だってある。

この「孤独感」は人間にとってかなり苦痛だ。

孤独感だけでなく、ストレス、誘惑、差別、治安、宿探し、パッキング、、、

様々ななストレスが少しずつ降りかかってくる。

 

自分が以前目を輝かせていた旅とは大違いだ。

旅は思っていたよりも過酷だ。

旅は自分との戦いなのだ。

 

自由になった自分は、自分と対話をし始め、自分を制御できなくなっていく。

故に自分のコントロールが大切なのだ。

正直今でも自分をコントロールできていないと思っている。

だがこのブログを書いている今、まだギリギリ制御ができているという事なのだろうか。

わからない。

わからないから、旅を続ける。