エネルギーを考える。

人間にはエネルギーというものがある。

エネルギーがある人。

エネルギーがない人。

これは年齢に関係なく、環境に左右されるのかもしれない。

更にエネルギーがなくなってしまったら人間は終わりだという事。

だから「自分のエネルギーを出せる環境」を考える必要がある。

 

何でもいい。フリーダイビング でも、スキューバダイビングでも、スカイダイビングでも、絵でも、英語の勉強でも。とにかく自分のエネルギーを「最大限に引き出せる環境」を目指すべきだと思う。

 

以前はフリーダイビングをやっていた。

初めてあそこまで夢中になれた。

こんな世界があるとは知らなかった。

そしてあの時、何度もここで滞在してやるべきだと自分に問いかけた。

それにも関わらず、結局自分はダハブを出てカイロに来た。

そして今、またダハブに戻ろうとしている。

 

エネルギーを最大限に引き出す事ができれば、それは「何かを行う原動力」になり走り出す。

それは次につながっていく糧になるのだと思う。フリーダイビングは間違いなく自分にとってもプラスになるだろうし、あんなにいい環境で毎日海と過ごす事ができるのだ。

だが、自分の何かが歯止めをかけた。

 

「このままでいいのだろうか?」

 

なぜ歯止めをかけるのだろうか。

今楽しくて夢中になれれば、それでいいじゃないか。

自分を信じて思いっきり海を過ごしてみればいいじゃないか。

そこで思いっきり海を制してみればいいじゃないか。

それが今の君にとって必要な事なのではないだろうか?

 

だから今自分に向けるメッセージとして。

何でもいいからエネルギーを出し続けられる環境に移動するという事。

もう一度、今夢中になれる事を真剣に考えるべきではないだろうか。

 

旅を考える。

旅の醍醐味は自分と向き合う時間をくれる事だ。

これが1番のメリットであるし、デメリットでもある。

なぜかというと、「ありすぎる時間は苦痛」になるからだ。

 

どれくらい時間があるかというと、朝から晩まで自由に自分が時間を使えるのだ。

一日ビールを飲むことだってできるし、一日勉強をする事もできる。

人とずっとずっと一緒にいるわけでもない。

誰とも話さない一日だってある。

この「孤独感」は人間にとってかなり苦痛だ。

孤独感だけでなく、ストレス、誘惑、差別、治安、宿探し、パッキング、、、

様々ななストレスが少しずつ降りかかってくる。

 

自分が以前目を輝かせていた旅とは大違いだ。

旅は思っていたよりも過酷だ。

旅は自分との戦いなのだ。

 

自由になった自分は、自分と対話をし始め、自分を制御できなくなっていく。

故に自分のコントロールが大切なのだ。

正直今でも自分をコントロールできていないと思っている。

だがこのブログを書いている今、まだギリギリ制御ができているという事なのだろうか。

わからない。

わからないから、旅を続ける。

 

 

 

 

 

 

メディアを考える。

しばらく海外生活をしていると日本の事が無性に気になってくる時がある。

便利なスマートフォンがある故、日本のニュースを見ていない事も少なくない。

むしろ、日本の外から日本を眺めることによって客観的に日本を見れるからとても勉強になる。

自分のニュースの中心は、ニューヨークタイムズBBCをメインとして見るようにしている。

それを踏まえて日本のメディアを見てみると驚く事が多い。

 

まず日本のメディアに関して、「どうでもいい報道」が圧倒的に多い。

目立つのは芸能人の報道だ。

今ラインのニュースランキングを見てみると、10件中4件が芸能人の話題が出ている。

BBCを見てみると、芸能人やゴシップネタはほとんどいっていいほどない。

主に流れているのは、世界の政治情報や戦争の話がほとんどだ。

 

これは一体どういう事なのだろうか。

自分も長年日本のニュースを見ていた側だ。

自分の「メイン」はやはり日本中心のメディアになっている。日本のメディアをみると「安心感」みたいなのが出てくるのだ。

しかし、それほど怖いものはない。

安心しているから、このままでいいという思考になったら本当に終わりだ。

積極的に自分から変化をかけていかなければ、最終的には意思のない人間の出来上がりだ。

今自分に変化をかけなければならない。

もっともっと積極的に自分から動かなければならない。

変化をかけるのは誰だって嫌だろう。

その度にまた新しい事を覚えなければならないし、自分の時間も取れなくなる。

だが、そこを自分から進んでいく人間達だけが、意思のある人間になっていくのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

食を考える。

 

今日アレクサンドリアのマーケットに行った。

そこは自動車の部品から、野菜、果物、魚、鶏、なんでも売ってある街だった。

とにかく、売れそうなもの、カネになりそうなものはなんでもある。

なんてことない風景だが、今日歩いていた景色は少し違って見えた。

 

ここでは弱肉強食の世界がリアルに描かれていた。

魚介類は瀕死の状態で生きたまま市場に出されている。

生簀に入れてある訳ではなく、本当に苦しそうに市場に出されている。

そして鶏だ。

鶏が異常に太っている。こんなに太っている鶏は初めて見た。

もちろん大きくした方が高く売れる。実際に何をしているかはわからないが、何かをして鶏を異常に太らせている事は間違いない。そして目の前で次々と計量器に乗せられ、首をもがれて売られていく。

 

普段の食事でもわかっているつもりではいた。

だがやはり実際に体験して見て見ないとわからないものだ。

食べ物はこうして自分の胃袋に入ってくる。

 

自分は魚を1匹注文した。

その場で鉄板に乗せられ調理された。

調理された魚を買った。そして食べた。

この魚は紛れもなくさっきまで生きていた。

命はその場で消え、その調理された身が自分の胃の中に入っている。

今俺の血となり肉となっているのだ。

俺がその命を絶ったと言っても過言ではない。

ここまで意識的に考えた事はなかった。

可哀想ではない。

だが、「仕方ない」では終わらせない。

だから考える。

今まで俺が食べてきた全ての食べ物は、元を辿れば必ずこうなっているのだ。

そして今俺が生きている。

今日生きていられる。

 

実際に「処理」されているのを見て感じた事。

それは「ただ単に自分が真実を見たくないから避けてきた」という事だ。

自分から「真実」を見に行こうとすればいくらでも手段はあった。

しかし、誰だって嫌な気分になる光景は見たくない。

だから行動に移さず、真実に目を向けず、避けてきただけだ。

しかし、今回向かいあって再び考えさせられた。

そして今考えさせてくれる機会をいただいている。

結果的に、「真実に目を向ける事が自分の成長」に繋がっているのだ。

今日改めて、食に感謝させられた。

今自分が生きているのは、巡り巡ってこの地球にやってきた魂達のおかげだ。

それを絶対に忘れてはならない。

 

日本の教育では真実を見せないように教育する。

俺の頭の中にはまだ「日本式教育」が刷り込まれている。

こういった真実に触れる度、いかに「日本式教育が不自然か」という事を考えさせられる。

だからもう一度考えなければならない。

自分の為にも、日本の為にも。

 

2つ大きな課題ができた。

1つ目は、これからは真実を率先して見に行く事。結果的に自分の成長に繋がる。

2つ目は、日本式教育をもう一度考え直すという事。

 

もっとこの世界を知って生きたい。もっとこの世界を理解して生きたい。

 

 

 

 

 

 

 

自分を考える。

今カイロにいる。

ダハブとはうってかわって、ここは混沌としている街だ。

歩いていると一日中話しかけられる。

駅にいたってはその量は半端ではない。

「ヘイ、マイフレンド」が「ヘイ、カモ野郎」に聞こえる。

それ程までにアジア人達は騙されてきているのだろう。

とにかくここで1番大切なのは、「誰も信じてはいけない事」だ。

そして更に自分のルールがある。

 

「話しかけられた人は信じるに値しない。」

「話しかけた人は信じるに値する。」

 

それでも人は信じない。

簡単に誰でも信じるのはおかしい。人がいつどう変わるかなんてわからない。

何度もそれで痛い目を見てきているのだ。

たぶんこういう事を言い続けていると「人を信じられなくなる」なるだろう。

だが、「今は自分の決断を信じて、人を信じない。」

こういった自分のルールを守ることは非常に大切だ。

それが今後の自分を作っていくのだから。

 

そしてもう一つ今回大きくわかった事がある。

自分は、「体を動かす事が好きだ。」

なんでもいい。

とにかく「じっとしているのは無理で、体を動かす事が好きだ。」

だから、もっと体を動かしてみる。

なんでもいい。スキューバフリーダイビング 、ランニング、スカイダイビング、バイク。。。

これは自分にとって大きなキーポイントとなったので、忘れないようにここに書いておく。

 

 

 

英語を考える.5

再び英語を考える。

英語を学ぶ最短の道は、「なぜ英語を学ぶのか考え続ける。」という事だ。


その下に手法がある。そして自分の手法は「英語をもっと好きになる」という事だ。好きになれば、どんどん率先して、使い、話し、レベルは勢いよく向上していく。だから自分が今やらなければならないのは、「一定のラインまでどんな方法を使ってでもやり続ける」という事だ。その一定のラインとは「英語が好き」から「英語が大好きになる」というラインだ。


▼では「英語が大好きになる」というのはどのラインなのだろうか?

英語は好きだ。

理解できなかったり、話せなかったりすると嫌いにもなる。

だからもっと好きになりたい。


▼ではもっと好きになるにはどうすればいいのだろうか?

それは、「理解できた!」「話せた!」「伝える事ができた!」

などの感情であるケースだ。だから自分が「わからないかも」と思っていた事に挑戦して「できた!」という時に起こるのだ。


脳科学ではこれをドーパミンと呼ぶ。

「できるかどうかわからない事にチャレンジし、出来た時にドーパミンというのは大量に放出される」ようになっているのだ。そしてその対象は興味があるものであった方が良い。よくあるケースでは小さい頃にハリーポッターを読んで英語を学んでいる人達。彼らは、ハリーポッターというストーリーの先を知りたいから、「自然と英語を理解するようになる」のだ。


ポイントは自分のレベルに合っているかどうか。自分のレベルに合っていなければ、居心地が悪くなって嫌な気分になってしまい、逃げだす。教科書も投げ出す。経済書ばかり読んでいては、無理なのは目に見えている。だから「英語が大好きになるラインまで、自分の興味のあるものでのみ英語を使用する。」が最適なのではないだろうか。

 

では具体的に大好きになるにはどうすればいいだろうか?

・母国語を意識的に切り替える。

・興味のあるもののみで学習をする。

・常に英語を創造し続ける。


まず大前提として上記は全て続けなければ意味がない。

まず1つ目の唱える。「I like english」と1日に何回も唱え続ける。これも続かなければ意味がないが、続けば非常に効果的だ。自分の脳が英語が好きだと勘違いし始めるからだ。言霊という物がある。嫌いな事を言っていれば、嫌いになるし、好きになると言っていれば好きになる。しかし、何も考えずにやたらめったおなじ事を言うのは何も考えて行動に移していないのと同じだ。「考えた結果、言葉にするという行動を起こす」事が大事なのだ。


2つ目はやはり興味だ。

何か自分の好きな物を徹底的に英語で追及していく。そうする事によって、英語の学習力は飛躍的に伸びるはずだ。これは「自分が興味がありそうな事」を英語で突っ込んでいき、少しずつ自分の知的欲求を利用していくのがいいのではないだろうか。


3つ目創造するという事だ。

英語を使用して創造する。英語を使用して創造し続ける。そうする事によって、今の方法では考えられないようなスピードで学習する方法を思いつく事だってある。ここが最も大切なのだ。例えば、母国語を意識的に変えるという方法。これができれば確実に、自分の英語力は向上する。英語が当たり前で、英語が小さい頃からあったように話せるような状況。そういう状況を、いかに自分から創造できるか。そして、いかに「自分の脳を勘違いさせるか」は創造的な力にかかっている。だからこの創造的に学習するという事は非常に大切なポイントだ。

 

 

「楽しく、少しずつ、永遠に」

厚切りジェイソンの語学学習の言葉だ。

きっと英語学習にゴールはない。

いや、学習にゴールはない。

しかし、「自分のレベルに合ったゴール」は設定した方が早く成長する。

だから自分を知る事が大切なのだ。

 

もっと学びたい。

もっと自分は成長できる。